琉球の城(グスク)にはなぜ聖域が存在するのか?本土出身の神主が聖域に君臨した琉球支配者の思想に迫る。
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| - | 2012.10.28 Sunday | - | - |
エージナ島はグスクか?
 先日、上里隆史さんの著作『ぞくぞく!目からウロコの琉球・沖縄史』を拝読しました。
その中で、私がもっとも興味をそそられたのは、「スクープ!謎の『グスク』を大発見」と題された一節でした。

なんと、『海東諸国紀』や『琉球国図』に描かれている「阿義那(あぎな)之城」が「ついに判明」したというのです。

上里さんが目を着けた「阿義那之城」は、糸満市の名城ビーチの対岸にある小島で、現在「エージナ島」と呼ばれるところでした。



【エージナ島の遠景(南東から撮影)】


「阿義那之城」=「エージナ島」という結論が導き出されたのは、主に以下の2点が根拠になっているようです。

ゞ畧い慮澱録泙鮓ると、エージナ島は「あいけな島」と呼ばれており、「あいけな」と「阿義那(あぎな)」の音が非常に似ている。島の位置も矛盾しない。
⊆尊櫃縫─璽献陛腓鯑Ш困靴討澆襪函◆『グスク』的性格の遺跡」であったことが判明した。



,虜拠は非常に興味深く、私も実際に古地図を見てみると、“「阿義那之城」、もうエージナで決まりじゃん?”といった気になりました。

しかし、「阿義那之城」=「エージナ島」と断言するには越えなければならないハードルがいくつかあります。

まず、ひとつの懸念として、エージナが「あいけな」と呼ばれている古地図は近世のものであり、古琉球に描かれた『海東諸国紀』・『琉球国図』とは同時代の史料ではないことがあります。
つまり、近世に「あいけな」と呼ばれていた島が、古琉球に遡っても同じ(似た)名で呼ばれていたことを実証することができないのです。
「阿義那之城」=「エージナ島」とするには、別の情報からクロスチェックする必要があるでしょう。

もちろん、上里さんもそんなことはご承知で、実際に現地を踏査されて△虜拠を導き出されました。
エージナは現在「グスク」とは呼ばれていませんが、その他のグスクと非常に似通った遺跡(「グスク」的性格の遺跡)であることを発見されたのです。


ところで、エージナ島が「グスク」的とは言っても、それは聖域的グスクであってはなりません。
「エージナ島」=「城塞的グスク」でないと、「阿義那之城」=「エージナ島」の証明にはならないでしょう。
なぜなら、『海東諸国紀』・『琉球国図』のなかで「グスク」は「具足」と書かれていることから、「城」の字は、「グスク」ではなく「しろ」の意で使用されている可能性が高いからです。
つまり、「阿義那之城」は、「あぎなの“ぐすく”」ではなく、「あぎなの“しろ”」の意なのです。

上里さんのエージナ島の踏査も、やはり、聖域的要素ではなく、城的要素を抽出することを強く意識してなされたようです。

では、どのような情報がそろえばエージナ島が城塞的であると言えるでしょうか。

上里さんは、エージナ島が「防御性を持つ集落遺跡であることは確実に言える」根拠として、主に以下の2点を指摘されています。

(1)防御性を持つ石積みが存在する。
(2)島にはかなり広い平場があり、入口付近にグスク土器片が発見されたことからも、人が住んでいたことは明らか。


実は、私も、エージナ島に興味を持って踏査してみました。
一見、小さな島なんですが、上ってみると中にはかなり広い平場と古そうな遺構(石積み)があり、直感的に“これはただの島ではない!”と思わされました。

しかし、私の出した結論は、上里さんとはまったく逆で、
エージナ島を城(防御性集落)とする根拠は何もみつけられなかったです。

これは、私の踏査が上里さんより情報を得られなかったということではなく、得た情報の評価がまったく違うということです。(上里さんの本に載せられなかった情報が他にあるなら話は別ですが・・・)


上里さんの挙げた2つの情報が「グスク」=「城」の根拠にはならないというのは、グスク論争のかなり初期の段階で指摘されていることです。

まず、(1)の「“防御性を持つ”石積み」ですが、石積みが防御性を持っていたかどうかは、基本的に表面観察で分かることではありません
「グスク」=聖域説を唱えた仲松弥秀氏は、石積みがあるのが城の証明になるならば、たとえば波之上宮(別名「ハナグスク」)が将来遺跡として発掘されたとき、神社の石積みは城壁とみなされるのかと疑問を呈しています。

また、(2)「土器片から人の居住は明らか」という話ですが、これも、遺物が出てもそれは祭祀に使われたものである可能性があり、生活遺物とは限らないことが仲松氏に指摘されています。
実際、島そのものが御神体とみなされる玄界灘の孤島「沖ノ島」は、無人島でありながら多量の器が発見されています。
上里さんが、どのような状況でどの程度の量のグスク土器片を発見されたのかは分かりませんが、恐らく、生活遺物であることが証明できるようなものではないでしょう。

エージナ島が城塞的機能を持っていたかどうかは、しっかり発掘調査をしないとはっきりしてこないのだと思います。


まとめると、結局、今のところ、「阿義那之城」=「エージナ島」とする根拠は、『海東諸国紀』・『琉球国図』と近世の地図に見られる島の名称と位置の近似性のみということになります。
(これが同時代史料ではないという問題を抱えていることは前述通りです。)

現時点で、「謎のグスクが判明した」というレベルにはまったくありませんが、エージナ島がただならぬ島ではないという点では私も共感します。
もしかすると、これから先の調査で「阿義那之城」=「エージナ島」が実証される日もくるかも知れません。
その日まで、私たちには、思い込みを捨て、史料やあらゆる情報を客観的かつ批判的に分析していく態度が必要とされるでしょう。

いずれにしろ、エージナ島に脚光を当てた上里さんの仕事は非常に価値あるものと思います。


【参考文献】
上里隆史『ぞくぞく!目からウロコの琉球・沖縄史』ボーダーインク 2010年
仲松彌秀「『グシク』考」『沖縄文化』第5号 沖縄文化協会 1961年



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| グスク見聞録 | 2010.11.02 Tuesday 12:08 | comments(30) | trackbacks(0) |
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| - | 2012.10.28 Sunday 12:08 | - | - |
コメント
アラミタマさんは、上里さんの説は間違いだと言いたいのですか?
| 沖縄在住 | 2010/11/14 2:32 AM |
沖縄在住さん

コメントありがとうございます!


>アラミタマさんは、上里さんの説は間違いだと言いたいのですか?

「間違い」と思っている訳ではないですよ。
間違いとは思っていないんですが、正しいとも思っていないんです。

「エージナ島」=「阿義那之城」という可能性は十分にあると思いますが、上里さんの挙げられた根拠では、それを断定するには至らないと考えています。

古地図の比較はともかく、エージナ島の踏査の結果(石積みがある・土器がみつかる・平場がある)が即「城」の根拠にならないことは、グスク論争の中で何度か指摘されていることです。

「エージナ島」=「阿義那之城」の真否を明らかにするには、今後、新たな証拠が出るまで待たなければならないというのが私の考えです。
| アラミタマ | 2010/11/14 1:29 PM |
有名な人が書いた本だったので完全に信じていたのですが、必ずしも「正解」では無いと言うことですね。

鵜呑みにしてしまう自分もどうかと思いますが。

分からないものですね。
| 沖縄在住 | 2010/11/14 9:56 PM |
沖縄在住さん

>有名な人が書いた本だったので完全に信じていたのですが、必ずしも「正解」では無いと言うことですね。

上里さんの専門は文献を扱う歴史学で、その分野では非常に優れた論文をいくつも書かれているのですが、考古学や宗教学的分野に関しては、比較的苦手とされているのかも知れません。
しかし、それでも、歴史に関わる最新の研究成果を積極的に一般に広めようとなさっている上里さんの取り組みが、非常に有意義なものであることに変わりはありません。


>鵜呑みにしてしまう自分もどうかと思いますが。

情報が氾濫する現代社会において、私がもっとも気をつけなければならないと思うのは、ひとつの情報で「すべてを知り得た」と思い込んでしまうことです。
例え一流の研究者でも、必ず正しい情報を提供しているとは限りません。
これはもちろん、歴史以外の分野でも同様のことです。

ひとつの情報に満足せず、「他に対論がないか」と意識する姿勢が、情報を受け取る側に求められているのだと思います。

ですから、私の上里さんへの批判も、たったひとつの小さな意見と捉えていただけるとよろしいかと思います。
上里さんやその他の方々にも、私に対する批判があることでしょう。

「和して同ぜず」の心持ちで皆が様々な意見を交わすことができれば、より良い歴史観が自ずと生まれてくるでしょう。
恥ずかしながら、私にとっての歴史研究は、そんな感じです(^^;)
| アラミタマ | 2010/11/15 12:23 AM |
エージとは八重瀬のことをほとんどさしています。

エージ万歳という舞踊は八重瀬万歳とかいてエージまんざいと発音します。
いまのやえせ町はほんとは、エージ
エージは方言をしらべればすぐわかります
| 古代史マニア | 2010/11/23 6:23 PM |
古代史マニアさん
コメントありがとうございます!

>エージとは八重瀬のことをほとんどさしています。

なるほど。
八重瀬(エージ)とエージナ島には何か関連があると思われますか?
| アラミタマ | 2010/11/23 11:18 PM |
まず、(1)の「“防御性を持つ”石積み」ですが、石積みが防御性を持っていたかどうかは、基本的に表面観察で分かることではありません。
「グスク」=聖域説を唱えた仲松弥秀氏は、石積みがあるのが城の証明になるならば、たとえば波之上宮(別名「ハナグスク」)が将来遺跡として発掘されたとき、神社の石積みは城壁とみなされるのかと疑問を呈しています。


防御性のない石積みもあるという事ですか?
石積みは石積みではないですか?
この石積みを防御設備として使うか、
単なるプライバシー保護のための目隠しとして使うかは、
その時々の都合で簡単に変わってしまいます。

第一次ユダヤ戦争においては、
エルサレム神殿にユダヤ人首脳部が立て籠もり、
最後の攻防戦の舞台になりましたが、
「エルサレム神殿の壁はあくまで神殿の壁であって城壁とはみなしえない」という主張には意味がありますか?
私は全くのナンセンスだと思います。

また、イースター蜂起の際には、ダブリン市内の複数の建物がIRBの陣地として活用されましたが、
「これはあくまで郵便局であって城とはみなしえない」
と主張する事には意味がありますか?

上里隆史はいい加減な大嘘つきですが、
一方、あなたや仲松氏のツッコミもこの点では
論点がズレていると思います。

そもそもあなた方が何をもって「城塞的機能」と見なしているのかが私には分かりません。
郵便局だって城塞的機能を発揮し得るのに、
明確な基準が設けられるものなのでしょうか?
| neoairwolf | 2012/12/13 1:36 AM |
neoairwolfさん、鋭いご指摘のコメントありがとうございます。


>防御性のない石積みもあるという事ですか?
石積みは石積みではないですか?
この石積みを防御設備として使うか、
単なるプライバシー保護のための目隠しとして使うかは、
その時々の都合で簡単に変わってしまいます。


どうも言葉足らずで誤解を与えてしまったかも知れませんが、まず前提として、この記事は、「エージナ島=城」というには根拠が不足していることを指摘するのが主旨であったことをご理解ください。
私が仲松氏の波之上宮の件を引用したのも、石積みがあったとしても、“初めから防御性を意識して築かれた城壁とは限らない”と言いたかったからです。

とはいえ、neoairwolfさんのご指摘で読み直しましたが、確かに、誤解を与える文章でした。率直にお詫びいたします。


さて、「エージナ=城」云々は置いて、改めて「防御性のない石積みもあるという事ですか?」という問いにお答えしますが、単刀直入に言って、あります。

重要なのは、石積みは“石が積まれている”ことであって、“壁”とは限らないということです。

例えば、土留めのための石積み。
あくまで高いところから低いところに土が流れないよう留めるための石積みで、時が経ち土が流れてしまうと、残された石積みは壁状に見えてしまいます。土留めも高ければそれなりに防御性を発揮できるとは思いますが、そんなに高いものばかりではありません。

また、畑かなにかの区画ということもあり得ます。
区画であれば遮ることができるので防御用に転じることもできると仰るかもしれませんが、簡単に飛び越えられるくらいの高さの場合、防御性は認められません。

もうひとつ、城壁か何かが崩れて散乱した石を、昔の人が片付けた結果、積まれたように見える可能性もあります。
こうなってはもうゴミです。

このように、浅薄な私でもいくつかは想定できますので、より専門性の高い方に尋ねれば、もっと多くの事例を挙げられるでしょう。

neoairwolfさんの“石積み(=壁)に防御性の有無を論じられるのか”というご指摘はとても的を射たもので、それはそのまま「エージナ島に防御性の石積みがあったとして、即、=城と言えるのか」という批判にもつながるでしょう。
しかしながら、私が「表面観察では」分からないとしたのは、そもそも「石積み=壁」かどうかも、発掘してみないと定かではないという含みを持たせたかったからなんです。
(誤解を与える文面であったことは、ご容赦ください。)


ちなみに、上里さんは、目指す所が壮大でさまざまな研究分野にチャレンジするため時に誤ることもありますが、決して「いい加減な大嘘つき」という性質の方ではありませんよ。
| アラミタマ | 2012/12/13 9:44 AM |
neoairwolfさん

もうひとつ、大事なことにお答えするのを忘れていました。


>そもそもあなた方が何をもって「城塞的機能」と見なしているのかが私には分かりません。
郵便局だって城塞的機能を発揮し得るのに、
明確な基準が設けられるものなのでしょうか?

まったくご指摘の通りで、私も迷ってしまいます。

例えば、グスク論争の中で、「防御性集落」が発展して「城」になるといった話が出てくるのですが、防御性集落と城の違いが非常にあいまいで、よく分かりません。
私の知る限り、両者の違いをきちんと定義付けしているのは、グスク=「防御性集落」を提唱した嵩元政秀氏のみです。それによると、

・城=文献上よりも明らかに支配者の居城として認められるグスク
・防御性集落=発生、興亡すら文献上、口碑上よりも不明確な点の多い野面積みの石垣遺構をもつグスク

となっています。
この文面をそのまま受け取ると、「城」と「防御性集落」の違いは、主に、文献で確認できるか否かという点と、石積みが野面積みであるかどうか、ということになってしまいます。
・・・とても曖昧ですよね。


ですから、個人的には、あまり「城」だとか「防御性」だとかの言葉には捉われずに研究を進めていくしかないと思うんですよね。

考古学者の安里進氏は、グスクを論じる際、「城」や「防御性集落」などの言葉は用いずに、城の規模・城内の施設(正殿の有無)などで大型グスク・中小グスクと分類する案を提示されています。
これだとまだ分かり易いですよね。

私のこの記事での上里氏への批判は、エージナ島を城とする場合、その「城」の定義はなにであるのか?
石積みがあれば、土器が出土すれば「城」と言えるのか?
という意味合いも含めた・・・つまりなんです。
(重ね重ね文章が不味くてすみません)
| アラミタマ | 2012/12/13 10:41 AM |
あなたは「高くなければ防御力がない」と考えているようですが、
低くても防御力はあります。
低いという事は、身を低くすれば隠れられ、
身を起こせばすぐ攻撃できる、という事で、
これは一面では大変便利です。
また、簡単に飛び越えられる、とおっしゃいますが、
「飛び越える」という動作は大きな隙を生みますので、
壁の陰から至近距離で簡単に仕留める事ができます。
逆に高いと、こちら側の攻撃も不便なので、
足場や出撃口が必要になります。
また余りに高いと死角も大きくなりますので、
壁の一部を張り出させるなどする必要も生じます。
工事の予算が三倍にも四倍にもなってしまいます。
その予算を出す価値がその陣地にあるかどうかが問題です。

大きいとか小さいとか、高いとか低いとか、
そういうのはその陣地の目的や予算の都合で
様々に変わってしまいます。

もちろん立派なお城を築く事は大変良いことです。
しかしそれにはお金がかかるのです。
敵はどこから来るのか分からないのに、
一か所にそんなにお金を使って元は取れるのか?
その土地にそんな価値はあるのか?
簡易陣地でやりくりするか、
或いは立派なお城を作るか、
場合によってどっちがベストかは異なります。
| neoairwolf | 2012/12/13 4:13 PM |
・城=文献上よりも明らかに支配者の居城として認められるグスク
・防御性集落=発生、興亡すら文献上、口碑上よりも不明確な点の多い野面積みの石垣遺構をもつグスク


このような勝手な定義は通常の日本語の定義からかけ離れており、無用の混乱を生んでいると思います。
じゃあ支配者が住んでいない枝城は城じゃないのか、
島原の乱の原城は、誰かが住んでるどころか廃城だったが、
これも城じゃないのか、という事になってしまいます。

>私のこの記事での上里氏への批判は、エージナ島を城とする場合、その「城」の定義はなにであるのか?
石積みがあれば、土器が出土すれば「城」と言えるのか?
という意味合いも含めた・・・つまりなんです。


「城」の定義は、その持ち主が「これは城である」
と言えば、それは城です。

エージナ島が、例のナントカ城と一致している、
という主張に、根拠が少ない、
というあなたの指摘は大変慎重で結構ですが、
石垣があるから城だ、
いや、低いから城じゃない、
という論争はピントがズレていると思います。

あなたの主張だけではなく、
上里の「土器があるから防御集落=城だ!」
という主張もおかしいです。
兵士が駐留していれば土器も使うでしょう。
しかし兵士が住んでいる城は「集落」ですか?
日本語としておかしいと思います。

中国では「城」というと城壁に囲まれた集落、都市も指すようですが、
我が国では一般的にはそんなものは含みません。
沖縄県内でも、集落を指して城と使った例はないように思います。

先人が、どんなものを指して「城」と使っているのか、
どんな物を指して「グスク」と使っているのか、
この二点の定義から見直す必要があるように思います。

あなたが「グスク=聖域」として仲松氏の説を裏付けているやり方については、
とても素晴らしいと思いますし、
私はあなたの見解が正しいと思っています。
| neoairwolf | 2012/12/13 4:52 PM |
あなたが賢明にも指摘している事ですが、
「グスク」と「城」は別の言葉です。

エージナ城が「グスク」とは呼ばれてない以上、
「防御集落」とかいうグスク論争上の概念を持ち込む
上里のやり方は間違いです。

またあなたにしても、「石垣が低いから城じゃない!」
と主張する前に、沖縄で「城」というのが
どんなものを指して使われていたのか、
という点を明確にさせる必要があります。

「沖縄では城というのは高い石垣を備えたデカい代物を指しており、
野戦陣地に毛の生えたショボい城砦は含まない」
という点を証明すれば、
そのとき始めて、
「こんな低い石垣しか持ってない代物は
エージナ城ではありえない」
と反論できるのではないでしょうか。
| neoairwolf | 2012/12/13 5:20 PM |
>石積みがあったとしても、“初めから防御性を意識して築かれた城壁とは限らない”と言いたかったからです。

繰り返しになりますが、
初めに防御性を意識せずに築かれた事は、
有る時点で城壁として利用されているかどうか、という問題とは
全く関係ないと思います。
仲松氏とあなたのツッコミは的外れだと思います。
| neoairwolf | 2012/12/13 7:04 PM |
neoairwolfさん

>あなたは「高くなければ防御力がない」と考えているようですが、
低くても防御力はあります。

なるほど。それもそうですね。
しかし、逆に、それほど低いものが実際に防御に使用されたかどうかは実証しようがないので、これ以上議論の余地はないかも知れません。


>「城」の定義は、その持ち主が「これは城である」
と言えば、それは城です。

確かに、その通りです。
往時の人々に城か否かを直接聞ければいいのですが、当然無理ですので、現実的には、現在を生きる我々が「城」をどう定義するかが必要となってしまう訳ですね。
最近、考古学研究者の間では、専ら「城塞(砦)的グスク」という言葉が使われます。私も使用しておりますが、グスクは「城」とも言い切れない、かといって防御性が無いとも言えない。ので、「城塞“的”」であると。玉虫色にして逃げている訳です。


>またあなたにしても、「石垣が低いから城じゃない!」
と主張する前に、沖縄で「城」というのが
どんなものを指して使われていたのか、
という点を明確にさせる必要があります。

私は、エージナ島が城でないとは言っていませんよ。
むしろ、個人的には、エージナ島が「阿義那之城」であった可能性は十分にあると考えております。(あくまで主観的にですが)
ただ、上里氏が城であるという根拠に石積みを挙げられたので、それだけでは「エージナ=城」の証明にならない、と申し上げたのです。
言葉は違いますが、neoairwolfさんの「石垣があるから城だ、
いや、低いから城じゃない、という論争はピントがズレている」という立場とそう変わりないと思います。


>先人が、どんなものを指して「城」と使っているのか、
どんな物を指して「グスク」と使っているのか、
この二点の定義から見直す必要があるように思います。

そうなんですよね〜。
これが、また、史料が少ないのでなかなか分からないのですよ。
何かご存知ないですか?


>あなたが「グスク=聖域」として仲松氏の説を裏付けているやり方については、
とても素晴らしいと思いますし、
私はあなたの見解が正しいと思っています。

ありがとうございます。
あまり褒められたことがないので、とても嬉しいです(笑)


ところで、私、また不味い説明で嘘に近いことをお話してしまったかも知れないので、少し訂正させてください。
嵩元政秀氏の分類ですが、氏が行ったのはグスクの分類であって、上で私が「城」・「防御性集落」としたものは、実際には「A式」・「B式」と命名されております。
つまり、「城」と「防御性集落」を定義付けたとは厳密には言えないということです。すみませんでした。
| アラミタマ | 2012/12/13 7:27 PM |
>現在を生きる我々が「城」をどう定義するかが必要となってしまう訳ですね。

あなた方自身に意見を聞く前に、
先人が「城」と呼んでいるものの共通要素を抽出する努力をすべきではないでしょうか。

しかし「沖縄では城という言葉がグスクとは共存して使われている。二つは全く別の言葉である」という点は、あなたが指摘したばかりかと思いますので、
今後の研究の進展によって「城」が何かも明らかになる事と思います。

>ただ、上里氏が城であるという根拠に石積みを挙げられたので、それだけでは「エージナ=城」の証明にならない、と申し上げたのです。

それだけなら別にいいのですが、あなたは仲松氏に同調して聖域である「可能性」も挙げていますよね。

>これも、遺物が出てもそれは祭祀に使われたものである可能性があり、生活遺物とは限らないことが仲松氏に指摘されています。

可能性だけならUFOの基地である可能性もゼロではないので、
むやみやたらに根拠のない「可能性」を列挙するのは、
議論の焦点を曖昧にすることだと思います。
ここは「城かそうでないか」に絞るべきだと思います。

あなたのやり方はこの点では、失礼ながら
上里が琉球征伐で「山北監守が戦死した可能性」をほのめかしたやり口を思い出させてしまいます。
| neoairwolf | 2012/12/13 8:14 PM |
聖域である可能性を
あなたと仲松氏が示唆している点については
根拠が全く無いという基本的問題以外にも、
初めから指摘しているとおり、
城である可能性を否定する根拠には全くなりません。

ここは、
・上里が証明しているのは「壁がある」ということだけで、
それが城壁である事は全然証明されていない

という点を確認すれば十分だと思います。
根拠薄弱な説に対抗して
根拠皆無な対案を挙げる必要は全くありません。
| neoairwolf | 2012/12/13 9:31 PM |
neoairwolfさん

>あなた方自身に意見を聞く前に、
先人が「城」と呼んでいるものの共通要素を抽出する努力をすべきではないでしょうか。

その通りですね。非常に大切な視点だと思います。


>それだけなら別にいいのですが、あなたは仲松氏に同調して聖域である「可能性」も挙げていますよね。

厳密に言うと、同調している訳ではないんですけどね。
聖域観がまるで違いますし、聖域内に城の存在を認めない仲松氏の見解には否定的ですから。


>ここは「城かそうでないか」に絞るべきだと思います。

大局的に言えば、私は、エージナ島を阿義那之城と証明したい派です。(←ただのロマンですが)
城でないなどと思ったことは一度もありません。
しかし、発掘もしていないのに、今の情報量で「城かそうでないか」という議論ははっきり言って不可能です。
それ故、現段階で「エージナ島=城」と結論付けるのは早計であると上里氏を批判するのが、この記事の主旨でした。


>聖域である可能性を
あなたと仲松氏が示唆している点については
根拠が全く無いという基本的問題以外にも、
初めから指摘しているとおり、
城である可能性を否定する根拠には全くなりません。

私は、「エージナ島が聖域である」とは発言していませんよ。
私が波之上宮の事例を挙げたのは、エージナ島が聖域であったことを証明したいからではなく、石積みがあるだけで阿義那之城とは言えないことを指摘したかったからです。
neoairwolfさんの仰るように、発掘もなしに「石垣があるから城だ、いや、低いから城じゃない」という議論は成り立たないことを申し上げたかったのです。

今、いろいろとneoairwolfさんとやり取りしていますが、基本的考えはほぼ変わらないと思うのですが・・・
| アラミタマ | 2012/12/13 10:20 PM |
>しかし、発掘もしていないのに、今の情報量で「城かそうでないか」という議論ははっきり言って不可能です。

発掘するとどんな情報が得られると思いますか?
武田の騎兵に対抗して、
大がかりな野戦陣地が構築され、
実際に大規模な戦闘があった長篠ですら、
発掘調査ではほとんど何も見つかってないのが現状です。
「壁も低いし武器も見つからないから
これは城じゃない!」などという議論をされてはたまったものではありません。
発掘の意義は否定しませんが、
あなた方は、それで得られた情報を有意義に活用できるでしょうか。

壁の高さについてですが、
以下は中世欧州の陣地の一例ですが、
http://img109.imageshack.us/img109/222/hussitewarwagonshx2.jpg
御覧のとおり土盛りの高さは、人の背丈より低いです。
その上に木の楯を並べて戦っています
木の楯は自分で動かせますので、
自由な視界と射角を得られる一方、
木の楯では防げない強力な投射物に対しては、
伏せて土盛りの陰に隠れればいいわけです。
これが発掘されるとしたら、
人の背丈より低い土盛りしか発見できません。
あなたの論理だと、「壁が低いからこれは防御性がない!」と結論づけられる事も有り得るわけです。

あなたは「土留めのための石積みも壁のように見えてしまう事がある」と述べていましたが、
その土留めのための石積みを流用して、
同じ陣地を作ることができます。
あるいは土留めして安定させた土台の上に、
柵や板でもって防御設備を作る事もあるでしょう。
これによって高価な石材を最大限節約する事ができますし、
これでも敵によっては十分な防御力を持ち得ます。
しかし木材はすぐ腐ってしまいますので、
発掘はまず期待できません。

>私は「エージナ島が聖域である」とは発言していませんよ。

仲松氏の以下の発言を、上里に対する反論として引用したのはあなたです。

>また、(2)「土器片から人の居住は明らか」という話ですが、これも、遺物が出てもそれは祭祀に使われたものである可能性があり、生活遺物とは限らないことが仲松氏に指摘されています。

あの辺にエージナ御嶽か何かがある、
という話は現時点では全く存在しません。
現時点では、エージナ島の土器が祭祀に使われた可能性は
宇宙人が使っていた可能性と同じくらいです。
他人の発言であっても、根拠として引用したのはあなたですので、
責任をもって引用して欲しいと思います。
ご神体か何かが発掘されれば、
文献にも伝承にもない御嶽があった、
と考えていいと思いますが、
それは見つけてからにしてください。

>今、いろいろとneoairwolfさんとやり取りしていますが、基本的考えはほぼ変わらないと思うのですが・・・

基本的考えはほぼ変わらないのは確かですが、
基本的手法が全く違います。
あなたの上里に対する反論からは、
誤った先入観が見て取れましたので、
あえて指摘させていただきました。
例えば「石積みが防御性を持っているかどうか」
という点は、繰り返しになりますが、論点に成り得ません。
どの程度の防御力で満足するか、という点は、
場合によって様々に変わるので、規格などありません。
敵が迫っているときに、
目の前の百姓家の石垣と、遠くのマジノ線、
どっちが我にとって防御性があるかと言えば、
目の前のショボい石垣です。

基本的考えと論法の違いについては、
例えば私は「琉球征伐で王府は無抵抗で降伏した」
と結論している点では、
高良倉吉以前の左翼学者と全く同じですが、
その論理構築の手法は全く異なります。
あなたの上里に対する反論についても同じ事が言えます。
| neoairwolf | 2012/12/14 7:02 PM |
neoairwolfさん
勉強になりました!
参考にします。
ありがとうございました。
| アラミタマ | 2012/12/14 9:53 PM |
おそらくアラミタマさんもご存知だと思いますが、このneoairwolfという人は、「琉球征伐」などのWikipediaの琉球史関連項目を、独自研究で編集しまくっていますよ。
Wikipediaは、ある分野に興味を持った人の多くが最初に目にするものなので、内地一般ではほぼ無名の上里隆史氏のミスより、何倍もの悪影響があるでしょうね。
| hot | 2012/12/17 2:45 PM |
hotさん
コメントありがとうございます!

>Wikipediaは、ある分野に興味を持った人の多くが最初に目にするものなので、内地一般ではほぼ無名の上里隆史氏のミスより、何倍もの悪影響があるでしょうね。

琉球近世史に関して門外漢なので、その内容に対してなんの意見も出せませんが、個人への誹謗中傷につながらないような客観的・学術的議論が望ましいですよね。
「和して同ぜず」とはよく言いますが、同じない上に和することもない「同ぜず和せず」では疲れてしまいます。
みんな仲良く議論できないでしょうかねえ(人のことは言えませんが・・・)
| アラミタマ | 2012/12/20 11:55 PM |
うーん、、、

率直に言って、アラミタマさんはずるいと思いますよ。
私はWikipediaなどまったく信用しないので構いませんが、世間に誤った歴史認識が広まることに義憤を燃やすあなたが、なぜ見て見ぬふりでお茶を濁すのでしょうか。

近世史は門外漢とおっしゃいますが、彼が編集しているのは、アカハチの乱等、古琉球の時代ばかりですよ。
それに彼は琉大理系の学生だそうで、歴史学は素人です。琉球征伐の最初の数行を読んだだけでもわかりますよね。

面倒な相手と関わりたくないのであれば、お気持ちはよくわかります。
しかし、あなたが度々批判しておられる上里隆史氏は、この上なく面倒で危険な相手「小林よしのり」を堂々と批判し、泥をかぶりましたよ。

上里氏を批判するのはおおいに結構、若き研究者同士、切磋琢磨していただきたいものです。
しかし、あなたの義憤のベクトルが、偏った史観を流布する小林よしのりや惠隆之介やWikipediaには向かず、上里隆史氏や沖縄タイムスのような相手にばかり向かう理由が、私にはどうにも理解できないのです。
| hot | 2012/12/23 2:26 PM |
hotさん
率直なご意見、ありがとうございます。

>私はWikipediaなどまったく信用しないので構いませんが、世間に誤った歴史認識が広まることに義憤を燃やすあなたが、なぜ見て見ぬふりでお茶を濁すのでしょうか。

非常に耳の痛いご批判なんですが、まず申し上げておきたいのは、私の中に「義憤」といった独善的な感覚はありません。
私は、記事の中でも何度か言っていますが、上里隆史という人は、本当に立派なことをしようとしていると思っています。
私はただ、“私の分かる範囲”で、間違っているものを間違っていると申し上げました。
私以外からもより多くの意見が出れば、とても素晴らしいことだと思います。

>しかし、あなたが度々批判しておられる上里隆史氏は、この上なく面倒で危険な相手「小林よしのり」を堂々と批判し、泥をかぶりましたよ。

それは、彼の知識の広さを物語っているのではないでしょうか。
私の実力はまったく及ばない分野です。

>しかし、あなたの義憤のベクトルが、偏った史観を流布する小林よしのりや惠隆之介やWikipediaには向かず、上里隆史氏や沖縄タイムスのような相手にばかり向かう理由が、私にはどうにも理解できないのです。

義憤はさておき、私は、私の専門分野の範囲では、それなりにいろいろと発言させていただいているつもりです。
名指しにする場合は少ないですが、本ブログの内容は、「グスク論争」の「城」説、「聖域」説を唱える多くの研究者に対して、非常に批判的なものです。グスク観についてだけ言えば、上里氏への批判は氷山の一角です。

hotさんとしては「他ももっと頑張れよ」というお気持ちになるかもしれませんが、上里氏の頑張りを引き合いにだされますと、彼ほど他分野にわたって努力されている方もなかなかいないので、ちょっとすぐにはご期待に添えそうにありません。

と、まあ、ご納得いただけないかもしれませんが、Wikipediaの「琉球征伐」の項目に関して、知識のない一般人としてあえて意見を言わせていただくなら、研究者の批判ばかりで肝心の「琉球征伐」の中身がまったく見えてこないという、一般人には非常に不親切な内容だと感じました。
| アラミタマ | 2012/12/23 4:27 PM |
お返事ありがとうございます。

まあ納得はできませんし、それ以上に非常に情けない思いです。そんなに理路整然と「白旗」を挙げないでくださいよ、、、と悲しくなりました。歴史研究者の存在意義とは何なのでしょうね。
「新しい歴史教科書」みたいなものがはびこるはずです。

桃木至朗先生は、日本の歴史研究者による研究が蛸壺化していることの弊害を繰り返し説いておられますが、まさにその実例を見る思いがしました。

一般を啓蒙しようとすると、身内の歴史学者に背中から石を投げられる、、、『武士の家計簿』の著者である磯田道史氏が、そのようなことをおっしゃっていたと記憶します。

ともに泥をかぶっている者同士で石を投げ合うならばよろしいですが、泥をかぶろうとしない者が、泥をかぶってくれている者に石を投げる姿は、単純に卑怯に見えますよ。

まあこれは日本の歴史学界全体の問題と思いますので、アラミタマ氏だけを責めるのは酷ですね。
むしろこうしてブログをやっておられるだけ、アラミタマ氏でさえ意識の高い部類なのでしょう。

たびたび失礼を申し上げましたが、まあ人それぞれの生き方というものがあるでしょう。
歴史が趣味のオッサンの繰り言として、お聞き流しいただければ幸いです。
| hot | 2012/12/24 11:50 AM |
hotさん

>たびたび失礼を申し上げましたが、まあ人それぞれの生き方というものがあるでしょう。

失礼ながら、そういうことかも知れません。
私自身としては、何の知識もない分野にズケズケと意見を述べる勇気など持ちたいとも思いませんし、持つべきでないとも思っています。

hotさんは「歴史研究」と一くくりに仰いますが、その「歴史研究」の中にもあらゆる分野があります。
私は個人的にとある勉強会に参加しているのですが、そこには10数人の研究者が属していて、扱うテーマも様々です。
古銭の研究・貝製品の研究・石器の研究・土器の研究・釘の研究・建物の研究・位牌の研究・人骨の研究・獣骨の研究・忌串の研究・幽霊の研究・便所の研究・・・などなど、あまりに多すぎて紹介しきれません。
これらすべての研究分野を網羅している研究者は、どこを探してもまずいません。
そんな中で、例えば古銭研究者が、獣骨研究のいろはに口を挟めると思いますか?

私が自分の専門分野以外のことに関して物を言わないのは、様々な研究者を前にして、自分が何も知らないという緊張感を持たざるを得ないからです。
将来、私の研究範囲が広がることがあれば、あるいはhotさんが仰る方々に何か意見を述べさせていただくこともあるかも知れません。
残念ですが、現在の私の力量はとりあえずこの程度です。
| アラミタマ | 2012/12/24 2:41 PM |
hotさん。

「neoairwolf」に反論する役目をアラミタマさんに押し付けるより、あなた自身がご自身で反論してはいかがですか?私のブログのコメント欄は常に開放されておりますよ。今のままでは何を言っても負け犬の遠吠えですよwww

私個人としては、あたなの信頼する歴史学が、どうやって菊隠を運天から牧港まで4時間で移動させるのか、その手法に大いに興味がありますwww

アラミタマさんのブログのコメ欄で私を批判するのは筋違いもいいところですねwww
| neoairwolf | 2012/12/25 6:13 PM |
専門分野では(グスク?)ちゃんと意見を言っているということですが、あの議論の終わらせ方は適当に終わらせているような・・・
| 鮫肌 | 2013/01/14 11:03 AM |
鮫肌さん
コメントありがとうございます!

あの議論の終わらせ方とは、neoairwolfさんとのやり取りのことですよね?
中途半端感を与えてしまったようで、申し訳ありません。

私としましては、私もneoairwolfさんもお互いに伝えたいことは伝えあったので、あれ以上議論が深まることがないと判断しいました。

これは私の見解ですが、議論の発端は、私が本文中で「エージナ島は聖地である」と主張しているという誤解を与えてしまったことでした。
私の拙い文章が一因でしたが、何度か申し上げましたように、私は波上宮の事例を「石積みがあるだけで城と判断できない事例のひとつ」として挙げただけで、エージナ島を聖地だと主張した訳ではありません。これは私主体の話ですので、誰になんと言われようとも変わることはありませんので、議論の余地はありません。

また、一連のやりとりの中で、防御性のない石積みが存在するか否かという議論が派生しました。
私は「ある」と答えたのですが、今考えると、その根拠がただ低いからとだけ伝わってしまっていたのかも知れません。
石積みの性格は、その位置、規模、時代、周辺の環境、文献上の歴史的環境など、あらゆる情報から判断されます。
その上で、防御性の無いと判断される石積みは実際にあります。
仮にそれを、「100%防御に使われていないとは断言できない」といった論法で議論を進めてしまうなら、同じ理由で、石積みは畑の区画とも、土留めとも判断できません。
柱の跡が出土しても、それは住居とも倉庫とも神殿とも言えない。何が出土しても何も分からないということになってしまいます。

結局、こういった議論は石積み全体でなされるものではなく、個別の石積みに関してどう判断するかという議論をしなければまったく意味がありません。
一連のコメントで共通して議論できる石積みはエージナ島のものだけであり、それが防御性を持つとは現時点で言えないというのは、私とneoairwolfさんの共通する意見だと理解しています。

よってこれ以上のやり取りは無益と判断した次第です。
ご理解いただけたでしょうか?(^^;
| アラミタマ | 2013/01/15 12:57 AM |
>石積みの性格は、その位置、規模、時代、周辺の環境、文献上の歴史的環境など、あらゆる情報から判断されます。
>その上で、防御性の無いと判断される石積みは実際にあります。
>仮にそれを、「100%防御に使われていないとは断言できない」といった論法で議論を進めてしまうなら、同じ理由で、石積みは畑の区画とも、土留めとも判断できません。
>柱の跡が出土しても、それは住居とも倉庫とも神殿とも言えない。何が出土しても何も分からないということになってしまいます。

分からない事は分からないままで置いておけばいいでしょう。分からないということは先人が「そんな事は分からなくていい。どうでもいい。興味ない」と考えていた、ということです。つまり我々にとっても重要ではありません。別にあらゆる事に答えを用意する必要はありません

>その上で、防御性の無いと判断される石積みは実際にあります。

判断するのがあなた方では失礼ながら当てになりませんね。あなたの先輩方はかなり頭が悪いので信用しないほうがいいと思いますよ。

元が畑の区画だろうが神殿だろうが、必要があれば防御力として使います。「これは防御性がない!」とか言うのはあなた方の想像力が不足しているだけの事です。かの有名なヴィレル・ヴォガージュの戦いでは、この地域特有の高い生垣を利用し、ミハイル・ヴィットマンが単騎で敵一個師団を撃退しています。石垣どころか生垣です。しかしヴィットマンは目隠しとして活用し、大部隊を翻弄しています。また第四次中東戦争の有名な激戦地「中国農場」も、元は日本の援助で作られた灌漑施設であったものを、シリア軍が塹壕や何やらで強化して要塞化し、イスラエル軍を苦戦させています。「この石垣は低くて防御性がないから逃げていいでちゅよ〜」という話にはなりません。防御力が不足なら塹壕掘るなり逆茂木組むなりすればいいだけの話です。そこを守ることが必要なら、お城がなくてもその場で作ります。やる気のある連中は普通そうします。

エージナ島のアレについて一つ確かなのは、アレを作った当人以外は、ほとんど重要性を認めてない、という事です。地理的にも作る意味が分かりませんし、史料上ほとんど言及されていない点でも、これは疑いないでしょう。人間は合理的なことばかりするわけではありません。作った奴は城のつもりで作ったかもしれないしそうでないかもしれない、しかし何であれ、あんなところに金や興味関心をそそぐ必要性を後継者がみとめなかったのは確かです。
| neoairwolf | 2013/06/26 10:54 PM |
neoairwolfさん

>分からない事は分からないままで置いておけばいいでしょう。

ある意味その通りです。
元々エージナ島以外に共通理解の遺構のない机上の空論でしたので、この議論はここまでということですね。


>しかし何であれ、あんなところに金や興味関心をそそぐ必要性を後継者がみとめなかったのは確かです。

「後継者」が誰を指しているのかわかりませんが、史料に残らずとも、あの島を大変重要視している地元の方々がいる事実も一方で忘れてはならないでしょう。
| アラミタマ | 2013/06/27 1:04 AM |
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