琉球の城(グスク)にはなぜ聖域が存在するのか?本土出身の神主が聖域に君臨した琉球支配者の思想に迫る。
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| - | 2012.10.28 Sunday | - | - |
グスク聖域の証明 その4

グスク聖域の証明の続きです。

これまでの記事(グスク聖域の証明 「その1」「その2」「その3」)で、
グスクの平場に頭を出した岩(イベ石)は、グスク時代(12〜15世紀)に平場が造成される際、
意識的に削り残されたと考えられることを論証しました。



【世界遺産 中城グスク 削られず残されたイベ石】


今回のテーマは、“その岩はなぜ残されたのか?”です。
わざわざこのようなテーマを掲げるのは、

「意識的に残されてるんなら、ふつうに拝むためだったんじゃないの?」

と思いたいところなんですが、考えようによっては、

「邪魔にもならないし削るのも難儀だからほっとけ〜」

といって残された岩が、後世になって

「すごい岩があるやっさ。でーじどー!」

と、崇拝対象になった可能性も否定できないからです。


とはいえ、岩が残された理由を明らかにするのはなかなか困難です。
グスク時代の文献資料はほとんど存在していませんし、
発掘したところで、当時の人が岩を残した意思(理由)は
目に見える物としては出土しないからです。


「これはどうしたものか」と私も相当悩んだんですが、いくつかのグスクの踏査を経て、
グスクのイベ石にはひとつの共通点があることに気がつきました。
それは、イベ石のある場所です。


なんと、多くのイベ石は、
グスクの土台となる自然丘陵の頂部に位置していたのです。


またイメージ図を使って説明すると、

はじめ人の手の加わっていない自然丘陵があり、

s-グスク自然地形イメージ図1.jpg



そこに城が築かれるのですが、


s-グスク自然地形イメージ図6.jpg



城内に残されたイベ石の多くは、
グスクの土台となっている自然丘陵の頂部にある岩なのです。


s-グスク自然地形イメージ図5.jpg



私はこれまでの踏査で60ほどのグスクで頂部の状態を確認しましたが、
そのうちの約半数が現在も頂部の岩をイベ石として拝んでいました。

また、イベ石はなくとも頂部が聖域となっているグスクが2割ほどあり、併せて
七割のグスクで頂部が聖域となっている
というデータが得られました。

ちなみに、残りの3割は不明(丘陵全体が聖域で、頂部が聖域の中心か確認できない)であり、
頂部に聖域がないことが確実なグスクは糸満市の具志川グスクのみでした。


また、頂部聖域の見られるグスクはその割合の多さだけではなく、
地域的にも沖縄本島全域で確認することができます


グスクに平場が造成され城塞化していくのは群雄割拠の時代です。
それぞれの地域の支配者が好き勝手に新たな信仰を生み出していったのであれば、
グスク聖域にはもっとバリエーションがあったはずです。

しかし、これだけの共通点、普遍性があるということは、琉球には、
グスクが城塞化される以前から丘陵頂部を核とする聖域が成立していた
と考えるべきではないでしょうか。

つまり、平場造成の際に削られず残された岩は、
はじめから信仰対象として機能していたと考えられるのです。


しかし、それがどのような信仰に基づいていたかはわかりません。
グスク聖域=山岳信仰とした小島瓔禮氏の説も十分考えられますが、
これを肯定する決定的根拠は今のところありません。
これは今後の課題となっていくでしょう。



さて、私なりにグスク聖域が古来からあったことを証明してみましたが、いかがだったでしょうか?
このブログでは、これまでの私の持論を是として話が進んでいきます。
ゆくゆくは第一尚氏から第二尚氏までの王権思想にまで手を伸ばしていくつもりですが、
さしあたって、次のテーマは、
グスクという聖域を城塞化した按司(支配者)たちは、聖域の内部に城を築いたのか、
それとも、聖域内部には手を加えず城壁でとり囲んだだけなのか、です。
ご期待ください♪


(「グスク聖域の証明」 完)


参考文献
武部拓磨「城塞的グスクにおける聖域の考察」浦添市美術館(編)『よのつぢ 浦添市文化部紀要』第5号 浦添市教育委員会文化部 2009年


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| グスク聖域の証明 | 2010.08.25 Wednesday 11:44 | comments(0) | trackbacks(0) |
グスク聖域の証明 その3

さて、間に無関係の記事を挟んでしまいましたが、グスク聖域の証明のつづきです。


まず過去記事のおさらいですが、「グスク聖域の証明 その1」で、
崇拝対象であるイベ石はグスク城塞化以前から物理的に存在することを指摘しました。

また、「グスク聖域の証明 その2」では、
自然丘陵の凹凸が城塞化に際して平らに造成される過程を説明しました。


実は、この2つの視点を組み合わせることで、
グスク聖域がグスク時代(12〜15世紀)に遡って存在したことを論証できます。

というのも、
平らに造成されたはずの郭に、
自然岩のイベ石だけ削られずに残されている城塞的グスクが
複数存在する
のです。


私お手製のイメージ図を使って説明すると、以下のようになります。


城郭内の凹凸がすべて平らにならされると

s-グスク自然地形イメージ図3.jpg




外観はこのようになりますが、


s-グスク自然地形イメージ図4.jpg




イベ石は、埋められも削られもせず、
あえて平場から頭を出した状態で残されている
のです。



s-グスク自然地形イメージ図5.jpg




外観はこう。


s-グスク自然地形イメージ図6.jpg




ひとつ事例を紹介します。
もっとも典型的なのは、糸満市の米須グスクのイベ石です。


s-P1840722.jpg
【糸満市 米須グスク一の郭のイベ石と造成された平場】


写真中央やや右寄りの自然岩が、米須グスクで拝まれているイベ石です。
イベ石周辺の地面は平らに造成されています。


s-P1840725.jpg
【イベ石周辺の地面 岩盤が平らにはつられている】


周りの岩盤は削られたり埋められたりしているのに、
イベ石だけそのままの状態で残っているというのは、
意識的に残されているとしか考えられません。

だとすれば、イベ石は、少なくとも、
平場が造成されたであろうグスク時代には遡って存在したと言える
と、思うのですが、どうでしょうか?

「考えがぬるいわ、このへなちょこめ」
と思われる方は、傷つかない程度に優しくご批判ください(^^;



さてさて、

だがしかし、

例えイベ石が意識的に残されたのだとしても、
それが果たして拝みのためだったのか、はたまた、
「削るのめんどくさいし、邪魔にもならないからそのままでいっか〜」
といって残された岩が後に拝まれるようになったのかは、
また別に検討しなければなりません。

沖縄ではしばしば聞く話ですが、
「うちなー(沖縄)はてーげー(適当)だから、楽しようとして残したんだはずよ〜」
という可能性も否定はできないからです。
(グスク時代の沖縄人がてーげーだった根拠や如何に?--;)


という訳で、「グスク聖域の証明」シリーズは、次回から、
グスク時代に意識的に平場に残されたイベ石が、
はじめから信仰目的で残されたことを論証していきます。
乞うご期待!


(つづく)


参考文献
武部拓磨「城塞的グスクにおける聖域の考察」浦添市美術館(編)『よのつぢ 浦添市文化部紀要』第5号 浦添市教育委員会文化部 2009年


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| グスク聖域の証明 | 2010.08.10 Tuesday 11:55 | comments(0) | trackbacks(0) |
グスク聖域の証明 その2
多くのグスクで崇拝対象となっているイベ石は、
グスクの土台である自然丘陵の一部であり、
信仰の有無はともかくとして、グスクに人が踏み入る以前から
物理的にその場に存在したのはまちがいない


前回(「グスク聖域の証明 その1」)は、このことを確認しました。
今回は、城塞的グスクの大まかな構造についてお話したいと思います。


城塞的グスクはそのほとんどが琉球石灰岩の丘陵上に築かれていますが、
自然の丘陵が、はじめから人の営みに適した地形になっていたわけでは当然ありません。
多くの場合、急な斜面やデコボコにむきだした石灰岩が一帯を占めており、
歩くのも困難な地形であったことでしょう。

城塞的グスクに見られる平場は、土木工事によって人為的に造成されています。
急峻な崖の上に城壁を築き、その内側の凹凸を、
あるいは岩を削り、あるいは土を盛ることで平らにならしているのです。



【世界遺産 中城グスク 崖上に築かれた城壁】



自然丘陵が城塞化されるまでを下にイメージ化してみました。



[圧綫亞ゴ笋亮然丘陵に

s-グスク自然地形イメージ図1.jpg






⊂詈匹築かれ

s-グスク自然地形イメージ図2.jpg






F眤Δ吠疹譴造成される

s-グスク自然地形イメージ図3.jpg



埋まったり削られたりした部分は当然見えないので、外観は結局こうなります。

s-グスク自然地形イメージ図4.jpg




この城塞的グスク築城イメージと「グスク聖域の証明 その1」で確認したイベ石の特性を併せて考えるとイベ石が古くから存在していたことが論証できるのですが、
詳しい説明は次回に送るとして(もう見当がついている方もいらっしゃると思いますが)、
ここでは、
グスクの平場造成には自然の岩盤を削るか埋めるかする必要がある
ことだけ強調しておきたいと思います。


(つづく)


参考文献
武部拓磨「城塞的グスクにおける聖域の考察」浦添市美術館(編)『よのつぢ 浦添市文化部紀要』第5号 浦添市教育委員会文化部 2009年


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| グスク聖域の証明 | 2010.08.03 Tuesday 11:59 | comments(0) | trackbacks(0) |
グスク聖域の証明 その1
グスクは城だったのか? 聖域だったのか? 集落だったのか?

この問題にいまだ決着がつかない最大の要因は、
現在ほとんどすべてのグスクにみられる聖所が
いつの時代まで遡るものなのか分かっていないからであるということは、
グスク論争」シリーズで説明しました。

では、グスクの聖所は、どうすればグスク時代(12世紀〜15世紀)に存在したと証明できるでしょうか?

これから数回に分けて、
こうすればグスク聖域は証明できるんじゃねえかの〜
という私の個人的な考えを説明していこうと思います。

第1回目の今日は、聖域証明のためにグスクの何に注目するべきかです。


グスク論争」シリーズで確認しましたが、グスク聖域説には、
聖域の本質を葬所とする説と、山岳信仰とする説がありました。

まず、葬所説ですが、民俗学者の中にはグスクの墓や風葬所を発掘すれば
グスクが聖域であるかどうかわかると安易に考える人がいるようですが、
例えグスク時代やそれより古い墓・風葬所がグスクに見つかったところで、
それらが聖域の中心であったとどのように証明できるでしょうか?

信仰や思想は目に見える物質ではないため、古い墓がみつかっても、
それを核とした信仰が生まれたことを立証するのは非常に難しいように思います。
ですから、私は、葬所からグスク聖域に迫ることは諦めました。
(ちなみに、私は、グスク聖域の本質は葬所だと考えていません。)


次に、山岳信仰説ですが、本土の山岳信仰の聖地で自然の岩がしばしば祀られているように、
グスクの中にある岩も崇拝の対象となっています。

こうした岩を神社風に呼ぶと「磐座(いわくら)」、沖縄風に言うと「イベ石」となりますが、
グスクの丘陵が本当に神体山として祀られていたかどうかはともかくとして、
岩や木などの自然物を拝む自然崇拝の要素が、
本土と沖縄に共通して見られるのは確かでしょう。


【浦添市 伊祖グスクのイベ石】


私は、グスク聖域証明のため、イベ石に注目しました。

自然岩であるイベ石と、グスク内で人工的に造成された部分との関係を観察することで、
イベ石がグスク時代から存在したことを論証できるのです。

詳しい説明は次回に譲りますが、ここでは、
イベ石は自然丘陵の一部であり、信仰の有無はともかく、
グスクに人が入ってくる以前から“物理的”に存在していた
のはまちがいないことだけ強調しておきます。


(つづく)


参考文献
武部拓磨「城塞的グスクにおける聖域の考察」浦添市美術館(編)『よのつぢ 浦添市文化部紀要』第5号 浦添市教育委員会文化部 2009年


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| グスク聖域の証明 | 2010.07.30 Friday 18:53 | comments(0) | trackbacks(0) |
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